リラの散歩道
想いのままに・・・

時計台とライラックの花
想いのままに
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04/05/18 2004年 GWヨーロッパ紀行(2004/4/26〜5/6)
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03/04/29 音楽について
03/02/05 スペイン滞在記(2002/11〜2003/1)
02/09/18 レッツ・スピーク!

2004年 GWヨーロッパ紀行(2004/4/26〜5/6)
【プラハ】
 4月26日に成田を発ち、アムステルダムを経由してプラハへ。尊敬するパヴェル・シュタイドルに演奏をきいてもらうために約10日間の予定を組んだ。
 現在、彼は長年暮らしたオランダを離れ、故郷のチェコ共和国に戻っている。プラハの気候は北海道の6月を思わせる暖かさで、既にリラ(ライラック)が咲いていた。私の毎日の散歩道は今やっとリラのつぼみがいくつか色付き開きかけているところだから、プラハには北海道より随分早く春が訪れていたということだ。
       モルダウ

パヴェル.シュタイドルと
 パヴェル・シュタイドルは1年の3分の1は飛行機か列車の中ですごしているんじゃないかと思う程、多忙な演奏家だ。5月1日からはドイツのギターフェスティバルに出演することになっており、私はそれを見学するため同行する特権を得ることができた。

【ドイツ】
 列車を2度も乗り継ぎ(途中アクシデントのため、長距離バスにも乗車)ノイシュタットという町に到着したのは、プラハを出てから8時間くらい経っていただろうか。
 へとへとに疲れて、まずはホテルでひと休み。シュタイドルと待ち合わせた後、夕食はなぜかギリシャ料理の店に連れて行かれた!ギリシャ料理っておいしいんだよ、ためしてごらん、と強く勧められて人気の少ない寒〜い感じのレストランに入った。なんだか、失敗したかなーという思いが頭をよぎったが、シュタイドル氏は気に入ったようで、名物をいろいろとオーダーしてくれている。初めての味だったので、新鮮な感覚で楽しめた。ギリシャのワインもおもしろい味だったし、めでたしめでたし。

 翌朝、体中の関節が痛い、だるい、力入らない、強烈にお腹痛い。
      「これってもしかして」。。また高熱に襲われるの〜?

 また、というのは外国に行くと必ずといって良い程まず熱がでるのは私の身体の特徴なのだ。そしてお腹をこわす。あれは前夜のギリシャ料理のせいだったのか、それとも身体の疲れのせい?。。シュタイドルは元気だったから、きっと自分のせいなんだろうな、と思い、薬をのんで夜のフェスティバルに備える。

【コンサート会場にて】

(左)リハーサル中のシュタイドル

(右)ジャズのフェレンクが
    即興で合わせている!!

 ドイツのフェスティバルの仕掛人は著名なアコースティックギタリスト、ピーター・フィンガーである。ホテルでテレビを見ていたら彼が出演していた。国内に留まらず広く知られた存在らしい。昨年来日し、札幌にも演奏に来たと言っていた。彼が選んだ異ジャンルのギタリストが次々と舞台に登場するというコンサートスタイルは、私にとってはギリシャ料理に次いで、また初めての体験となった。

【演奏後の談笑】
左奥デミトリス、
手前フェレンク、
右シュタイドル
 お腹の具合を気にしながらホテルでうろうろしていると、どこかでみたことのある外国人がフロントのそばに立っていた。ああ、あれは数年前に東京国際ギターコンクールで優勝したデミトリス・レジノスでは?話し掛けてみたらやはりそうで、すぐに意気投合、良い仲間が一人増えた。他に、ハンガリー出身のジャズギタリスト、フェレンク(Ferenc Snetherger)、ポーランドからのギターデュオ、クリス&ヤレマデュオ、若いアコースティックギタリスト、スロベニア出身のハル、など。ピータ・フィンガー自身は演奏せず、もっぱら司会役。

 このメンバーが、ノイシュタットで2公演、ベルリンで最終公演と全3公演を行った。ジャンルは違ってもギターを操る腕前はどの人も素晴らしく、一度に違う種類の音楽を聴くことに抵抗は感じなかった。デミトリス・レジノスは故郷(キプロス)のフォークソングをアレンジしたものや、ソルのマルボローの主題による変奏曲、バッハの作品をギターに自分でアレンジしたものの抜粋など、端正な演奏を聴かせた。ポーランドのクリス&ヤレマは聴衆を笑わせるユーモアも持っていて、演奏も肩のこらないラテンもので楽しませていた。自国ではフェスティバルも主催しているそうだ。アコースティックギターのお兄さんは何という曲かわからない。自作なのかも。シュタイドルは得意の19世紀作品やロジー、自作品などで大変会場を湧かせていた。どの演奏家も1曲弾きはじめると、すぐに観客を自分の世界に引き込むことができることに感心した。
 大音量のアコーステックギターの演奏後で会場がわぁーと盛り上がっている中を、19世紀ギターをもったシュタイドルが登場し、メルツを弾きはじめた。とたんに聴衆はこの演奏家の手中にあった。彼の演奏後、またまたブラボーの大歓声の中、とりをつとめたジャズのフェレンクが登場。この人も毎回すべてフィンガーピッキングでファンタスティックだった!! 
 会場ではシュタイドルとフェレンクが際立った演奏だという声を随分聞いた。実際、シュタイドルは演奏後、数人のドイツ人から来年のコンサートのオファーを得たようだった。


【出演者全員で】

左:ピーター・フィンガー
左から3人目:パヴェル・シュタイドル
真ん中の黒い服:ジャズのフェレンク
右端:デミトリス・レジノス

 入場料が安い。10ユーロ前後(1ユーロ=約130円)。スポンサーがしっかりしているのと、コンサートって誰のために開くのか、という考え方が日本と違うのだろう。観客からの入場料で全てをまかない、さらに収益を考えるなら日本のように高くなる。日本なんて大きなスポンサーがついているコンサートであっても入場料は安くない。入場料のせいかピーター・フィンガーが有名人だからかわからないが、どこも会場は一杯だった。クラシックを聴きにきたのでもジャズを聴きにきたのでもないような人達。なんでもいいけどおもしろそうなので来たんじゃないかと思う。そして真夜中12時まで楽しんで帰るんだから。

 こういうコンサート、札幌でもあったらおもしろいのに。ただし、演奏家の質が高くないと成功しないだろうけど。 ドイツを訪れたのは初めてだったのでいろいろと発見があった。ベルリンという町についても。でも、その話題はまた別の機会にとっておきます。
いつの日か、自分もこんなフェスティバルに出演するのが夢。
夢は大きく。いつかきっと。


音楽について

 庭の木々に緑鮮やかな新芽が吹いているのをみると、これから迎える新緑や花の季節に期待がふくらみわくわくします。私自身の今年一年にだぶらせて思いをめぐらせています。この枝に葉が繁りつぼみがつき花が開く頃、自分はどうしているかな、と。また、自分のことだけでなく、最近強い向上心を持って練習に励んでいる自分の生徒さん達のことも考えてみる。音楽に情熱をもって向き合っている人達が自分の周りにいるということを本当に嬉しく幸せに思います。彼等が沢山勉強して、今よりもっと上達した姿を想像するのは楽しいことです。

 私が考える「音楽」は、この社会で生きることに疲れた人々が、つかの間の安らぎを見い出すため、いわば「癒し」の為だけに利用されるべきものでもなければ、そのために存在するものでもないのです。音楽の持っている力は、それ以上に人間にとって大きく作用する偉大なもので、また、それを理解する為には、教養が必要なのです。つまり、勉強すればそれだけ、音楽を理解できる人になれるのです。私は一生終わりのない勉強を続けなければなりません。

 私の生徒さん達には、弾く練習さえすれば良い音楽家になれるわけではない、ということを私のできる範囲で少しづつお話しています。様々な知識を得る努力を惜しまないことです。弾く練習の他に本を読んで勉強する時間も大切なのです。自然の中を歩いて自然界の法則を発見すること、身近に存在する生き物を観察することも大いに役立つかもしれません。また、自分が勉強している作品の作者について、国、時代、文化、宗教、言語、同時代のギター以外の芸術について調べるなど、きりがありません。これらを一人の教師から学ぼうとするのは無理でしょう。若い人は音楽の学校へ行って様々なことを学ぶのも良いかもしれません(ただ、音楽学校は画一化されたものを生み出す、という問題を指摘する人もいますが)。職業としての音楽家を目指さない人であっても、自分の気持の持ちようで、いろいろな角度から勉強ができるでしょう。時間も労力も場合によってはお金もかかるかもしれません。でも、そうするだけ価値のある行為だと私は信じています。ですから私は自己紹介のページの中で「音楽に献身すること」が目標だと書いています。カッコつけた言葉ですが「音楽に向きあうことで人生の難題を解決する」という意味です。皆さんもいろいろなことを蓄えて、私の知らないことを沢山教えて下さい。

 少し前に私が読んだ本で興味深かったものをご紹介します。「弓と禅」(原題は「弓道における禅」)福村出版。オイゲン・ヘリゲル著。タイトルからもわかるように弓道と禅の関係について作者自身が体得したことをもとに書かれています。ドイツ人がこれ程まで禅の精神を理解できたことが素晴らしいのですが、音楽を演奏することにも大いに関係があると思いました。

レッツ・スピーク!

〔第1話〕

 スペインへ発つ日が近づいている。スペイン語をすこーしずつ覚えている。英語も並行して勉強している。目下、「お金をかけない語学学習」というスタイルにこだわっているところ。そして、「こんな方法でマスターしたぞお・・・」、と友人、知人、生徒に自慢する日が早くやってくることを願っている。「レッツ・スピーク」とは、NHKラジオの英語講座のタイトルから借りたのだが、実はこの「話しましょう!」ということこそ、今、私が一番大切に考えていること、なのであります。

 これまで外国人ギタリストのレッスンを何度も受けてきた。通訳がいなくてもその内容は大方理解できたので、レッスンで困った経験はない。語学学校に通ったこともないのに私って大したモンだよなーなんて、自分を過大評価していたのだが、それは勘違いも甚だしいことだった。静岡の国際ギター講習会で会った人達の中には過去に留学経験がある、現在留学中である、これから留学予定である人が多かった。「どこに留学していたんですか?」などと聞かれて「したことありまへん・・」と小さくなってしまった程である。つまり彼等は外国人とコミュニケーションを取ることのできる人達なのだ。コミュニケーションをとる、というのはレッスンで何を求められ説明されているのか理解出来る程度の語学能力では無理なことである。レッスンというのは楽器がこちらの意志を伝達するのを助けてくれるので、会話は少なくて済んでしまう。相手の言っていることさえ理解出来れば「なんとかなる」。しかし、近頃なんとかならない場面に何度も遭遇している。それは、言葉を交換することによって初めて生まれるホントのコミュニケーションの場面である。

 「ナントカカントカ、ペラペラペラ」と言われると、そのうち自分の知っている単語がいくつか聞き取れる。それを頭のなかでつないで相手の言った内容を推測する。推測不能の場合でも「うん、うん」といって、まずは話を聞く。そのうち相手が「どう思う?」なんて質問してきたら、大変だあ、ということになる。まさか「今の話、もう一回聞かせて?全然わかってないの」なんて言えない。こういう場合は、阿川佐和子さんによれば「もう少し詳しく具体的にお聞きしたいのですが」と言って難を逃れる方法があるそうで、これは今度使ってみようと思う。全部の単語を聞き取れるようになるのは至難の技だろう。それでも理解できるようになるには「語彙を増やすこと」しかない。日本人は真面目なので、「ふむふむ、では毎日英字新聞でも読むとするか」なんて思って、日々たゆまぬ努力をするかもしれない。しかし、、、厳しい受験戦争を勝ち抜いて来た人の多くは、かなりの単語を知識として蓄えているはずだ。でも、会話となるとてんでダメな人が多い。つまり、沢山読み書きを勉強しても会話ができるようになるとは限らない、ということなのだ。(ちなみに私は大学を受験した時の2次試験の英語はかなり良い点数だった。)勉強だけでは会話ができるようにはならいない、ということが分かってきたのだ。

〔第2話〕

 カナダから札幌へやってきたギター製作家のJ氏から、ある日電話がかかってきた。彼の工房を見に来ませんか、というお誘いのお電話だった。彼とはそれまでにも数回御会いしているのだが、電話で話をするのは初めての経験で、一瞬うろたえてしまった。「ハイ、サチコサン?Jデス。」これ以上は日本語で話せない彼は、すぐさま英語でぺらぺらぺらーっと話し始めた。なんとか、工房へ行く日と待ち合わせの時間とを約束して受話器を置いた。数日後、彼の工房を訪ね、何本か試奏させてもらいながら感想を述べたり特徴を説明してもらったりしていたのだが、そのうちに、私はもっと英語が話せるようになりたいんだ、という話になった。すると彼は自分がスペイン語を習得した話を聞かせてくれた。彼は英語を話すけれど、彼がギター製作を学んだ師匠はスペイン語しか話さない人だったそう。でも、仕事に必要な単語から始まって毎日言葉をかわしているうちに短期間でマスターしてしまったらしい。彼は言う、「とにかく、話すこと。それしかないよ。どんなに文法を学んで理解しても使わなければ話せなるようにはならない。」もちろん、読む、書く、も大切。映画を見たり英語の歌を聞いたりして語彙を増やすのも効果的らしい。そして、話す。

 それからまた数日後、K君のレッスン中にJさんから電話がきた。私が英語を勉強するのに大変良い本があるんだけど、ということだった。その本をどう利用すると良いかの説明もしてくれた。実は半分くらいしか聞き取れなかったんだけど。しかも、今レッスン中なので後からかけなおしますって言えなかったことも、ちょっぴり、がくっ。。冷静になってみれば、すぐ言えるようなことなのに、いざとなるとパッと出てこないんだ、言葉が。やはり訓練なのだなあ。しかし、会話の為のスキルを磨いても、これだけでは会話が出来るようになるとは限らないのだ。この先がもっとも重要な部分で、コミュニケーションの基本といってよいことだが、つまり、コミュニケーションをとろう、という意思をもっているかどうか、ということなのだ。自分の話をきいてもらいたい、と思っているか。その前に、自分は相手に対して語れる話題をもっているか。相手をよく理解したいと思っているか。相手の話に耳を傾けようという意思があるか。初対面の人同士が多く集うようなシーンで、出来るだけ多くの人と会話を楽しもう、なんていう姿勢は日本人にとって苦手である(場合が多い)。私が昨年オランダへ勉強へ行った時、まず衝撃的だったのは、自分は思いっきり日本人である、ということを認識したことであった。

〔最終回〕

 オランダの講習会期間中、会場の近くのレストランを毎日新しく開拓して食事をしていたのだが、中でも社交的な受講生達は毎日同じ人を誘って出かけはしない。今日はこの人と、明日はあの人と、とその日そこに居合わせたメンバーが誘いあって食事に行く。私もいろいろな人と食事に出かけた。私より若いのに大変社交的で、若い世代同士でたむろすることもなく、自分より上の世代とも臆すること無くお話ができる。

 初対面であっても様々な話題を提供しあうので話が弾む。自分はこう思う、こう考える、という主張もはっきりしている。幼い時から自分を外に印象づける術を身につけているのだろう。彼等にとってはそれがごく当たり前の姿なのだ。もし、会話に参加せず黙々と食事をしていたら、一人だけ取り残されたような寂しい結果になる。ただでさえ言葉に自信がないのに皆と楽しくおしゃべりするのは勇気がいるのだけど、私はむっつりした日本人、にだけは決してなりたくないと思って頑張った。ある日、一人喫茶店でジュースを飲んでいたら、パブロ・マスケスやマルコ・ソシアスといった憧れのギタリスト達がお店に入ってきて、一緒にお茶しようよ、ということになった。こんなチャンスにお話しないテはない。辞書を片手にたとえ下手くそな英語ででもお話したい意思を見せれば、相手もちゃんと聞いてくれようとする。なんていう単語を調べているの?と聞かれ、それがわかんないから調べているの、と言えずに困りもした。でも、一口食べてもいいよ、と生クリームがたっぷりのったケーキのお皿を私にくれたマルコ・ソシアスの優しさにも感動できたし、受け身でいては経験できないささやかな交流ができて嬉しかった。ヨーロッパの人達のコミュニケーションの様子を見て、だんまりむっつりの日本人よりも自然で楽しい生き方をしているように見えた。

 オスカー・ギリアが札幌に来た時、お食事会に参加した人は沢山いても彼のそばにお話をしに来た人はいなかった。エドゥアルド・フェルナンデスと東京でお食事をした時も、皆ファンなのに誰も積極的に話し掛けなかった。その人と一緒に時間を過ごす為に同席しているのに、言葉を交わさなければそこにいた意味がない。自分は話をしなくてもいい、と言う人は人に会話を任せているということだから、無責任で消極的な人だ。こういう人は、日本人同士の集まりでも同じなのだろう。性格もあるだろうが、訓練次第でお話は出来るようになる。子供達にレッスンで質問をする。だんまり、はダメ。「わかんない」もダメ。きちんと言葉で説明をさせる。言葉で説明ができるということは、自分の考えがまとまっている、という証拠でもある。子供を教育するのは親だけの勤めではなく、周りの大人達にも課せられた義務だと思っている。将来のギタリストを育てる為にも人とコミュニケーションをはかれる(ああ、なんて当たり前のこと!)大人に育てたい。何よりも自分が今以上にそうなりたい。まず、身近なところから始めよう。来週パベル・シュタイドルという素晴らしいギタリストが札幌にやって来る。(私はオランダで演奏を聞いた)この世界のトップクラスのギタリストと是非是非レッツスピーク!そうすれば、1時間の練習よりもギターが上手くなる可能性もあるのでは?

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