スペインにて
2002年11月〜2003年1月
 近況報告             スペイン滞在記
 スペインはホントに遠かった!

近況報告

  宮下さんから近況報告が12月23日に届きましたのでお知らせします。


前略

 私のホームページをご覧の皆様、お元気でいらっしゃいますか?

 私が現在住んでいるのは、スペイン南部の町、”アルムニュカール”というところで、大変暖かく、日中は20℃くらいになるんです。一番近くて大きな町はマラガというところで、ここまでは日本人が多いようですが、アルムニュカールにはほとんどいないそうです。

 私の住んでいる建物(こちらでは”ピソ”といいます)は、地中海の目の前で、特に夕焼けの時刻には、これまで日本で目にしたことのないような太陽に水面が照らされ、空に浮かぶ雲の色といい、幻想的な風景画のようです。

 こちらに来てから、覚えたスペイン語で、なんとか自分の要求くらいは人に伝えられるようになりました。近所で親しくして下さっているスペイン人一家と市場の売り子のお姉さん、おなじピソに住むおばさん、レストランの店員、これくらいしかスペイン人とスペイン語をかわす機会がありません。週に一度レッスンを受けに通っているコンセルバトワールの先生も、目下、英語を勉強中で、レッスン中も英語を話したがるものですから、私としては残念です。私も負けじとスペイン語で返事をしたり、こんなに覚えたんだぞお〜〜〜というところを見せつけています。

 こちらに来て、日本と違うことがいろいろあり、毎日いろいろな発見をしています。台所に洗濯機があること、昼過ぎから夕方までお店が閉まってしまうこと、ハガキも手紙も切手代が同じこと、声が皆大きくて、よくしゃべること、ゴミは何曜日でも捨てて良くて(何時でも)分別もビンを分けるくらい。道路は犬のふんだらけ、お店は食べ終えた後のゴミで散らかっている。2〜300円持っていけば、市場で両手いっぱいの野菜と果物が買える、・・・などなど。

 どろぼうもいない安全な町で、元気に暮らしています。
 皆さんどうぞご心配なく。

                                            草々
                          12月13日(2002年) 宮下祥子

スペイン滞在記

 2003年1月、2ヶ月間の滞在を終えて帰国しました。その間私が体験し、感じたことを綴る「スペイン滞在記」を数回にわけて連載いたします。

第1回 [コンクール]

 世界には現在どのくらい国際コンクールがあるのでしょうか。スペイン国内だけでも数多く存在するコンクール。海外に向けて自分のキャリアをアピールする際、名前が知られた国際コンクールでタイトルを持っている方が話がうまく運ぶ場合があります。

 アンドレス・セゴビア国際ギターコンクールはその一つといえるでしょう。スペイン国内にA.セゴビアと名のつくコンクールは4つあり、それぞれ開催都市が主催しています。私が参加したリナーレス市のコンクールが現在はもっとも規模が大きく、優勝すると高額の賞金のほか、数カ国への演奏旅行という特典がつきます。やはり市が全面的に支援しており、入賞すると滞在費が戻ってきます。審査員の話によれば、今年の参加者のほとんどがどこかのコンクールの入賞者で、ファイナルにのこった6人は過去にコンクールでタイトルを持っている人達だったそうです。(私は日本のコンクールで優勝したことがあります)

 2002年11月22日、23日、リナーレス市で開催されたアンドレス・セゴビア国際ギターコンクールに参加しました。リナーレスはセゴビアの生地であるため、彼の名やギターに因んだものがこの町にはいくつかあります。まず、このコンクールもその一環なのですが「A.セゴビア国際ギターフェスティバル」、コンクールの会場にもなった「A.セゴビア博物館」、「A.セゴビア通り」、「A.セゴビア音学院」、A.セゴビアの銅像、「ギター時計」など。

         
                    
〔セゴビア博物館の前で


         
                 
 〔博物館館長のポベダ氏と〕


 11月22日は、朝の10時に会場に集合でした。最初に抽選があり、私は最後から2番目という好順位でした。しかし待ち時間が長いという不利な点もあります。審査員は審査の間に何回休憩を取るかわかりません。「疲れちゃったから休もうよ!」といって1時間半くらいどこかに行ってしまったりするんです。自分の番が何時頃になるかわかったものじゃありません。私はのんきに構えた方が良いという周りの方の意見に従って、一度ホテルに帰りました。これが良かったと思います。再び会場に行くと、あと30分くらいで自分の番、という頃でした。
 同じ控え室には私の他に3人いて、皆、緊張した面持ちで練習していました。でも、互いに自己紹介などして和やかな雰囲気でした。結果が発表された後、先ほどまで和やかにお話していた人が「君、パスしたの?」と聞くので「はい」と答えると、あっそ!という感じで急に態度が冷たくなりました。うわぁ、はっきりしてるなあ、と思いましたが、彼は堅い表情ながらも「明日、良い演奏してね」と言ってくれました。

 主催者の発表でセミファイナルは行われないことになり、翌日、通過した6人でファイナルを競うことになりました。ファイナルでも私は演奏順が最後だったので、遅い時刻に会場へ向かいました。予選とは違った緊張感が控え室にも漂っていて、私も今まで演奏会で経験したことが無い程緊張しました。私の前のペルー人の演奏が終わり、会場から割れるような拍手が聞こえてくると、私は一層ナーバスになりました。しかも会場は大変寒く、手は冷たい。リラックスして演奏したというよりは、ものすごく自分を鼓舞して頑張って弾いたという記憶しかありません。演奏後、前日冷たい態度だったレバノン出身の男の子が一生懸命拍手してくれているのが見えてうれしかったです。        
 結果発表と授賞式は翌日、テアトロ・セルバンテスという大きなホールで行われました。この日はセゴビア国際ギターフェステ−バルの最終日でもあり、トルコのギタリスト、アーメット・カネッチのリサイタルが同じ会場で行われることになっていました。このフェスティバルの関係者やコンサートを聞きに来た聴衆が大勢いる中で、自分が2位になったことを聞き、ステージに上がった時は大変光栄で幸せな気持でした。

           

               〔コンクール入賞者〕
      左から、宮下、 特別賞(5位)、3位(ペルー)、1位(スペイン)  

 これで私のコンクールについては終わりなのですが、コンクール劇はまだ続くのです。この時、一緒に参加していた数人が約1ヶ月後のもう一つのA.セゴビアコンクールに挑戦したからです。そして彼等の演奏やその結果は私を大きく鼓舞するものとなったのです。

2回 [続コンクール] 

 もうひとつのアンドレス・セゴビアコンクールが2003年1月2日から、スペイン南部の小さな町、エラドゥーラの教会で行われました。この近郊に滞在していた私は、予選だけですが見に行くことが出来ました。リナーレスのアンドレス・セゴビアコンクールに参加していた人が数人演奏しており、中でもリナーレスで4位だったノルウェーのオイエン君は素晴らしい出来栄でした。日本でもおなじみのウクライナ出身のロマン君もトップバッターでしたが、持ち前の安定したテクニックで鮮やかな演奏を披露していました。誰が通ってもおかしくないくらい実力は接近していて、もし自分が審査員なら誰を選ぶだろうか、ということを考えながら一人一人の演奏に耳を傾けました。結果はオイエン君が優勝、2位はスペイン人で3位にロマン君が入りました。オイエン君がなぜリナーレスで入賞できなかったのかわかりません。その日の心身のコンディションというものも結果を左右します。でも、自分がこんなにレベルの高い人達と共にコンクールに出場できたことを嬉しく思った反面、ますます頑張って勉強しなくては、という気持になりました。

 私が帰国してから友人や生徒の皆さんはコンクールのことを開口一番におっしゃいます。しかし、自分にとっては、それ以上に印象的な体験が数多くありました。続いて「コンサート」と題して各地での演奏会について綴ります。

第3回 [コンサート]
 
 この度のスペインツアーでは、ギタリスト手塚健旨さんの呼び掛けにより結成された「東京ギタークインテット」の一員として各地をまわりました。御一緒した方々は手塚氏、井桁典子さん、田口美和子さん、児玉祐子さん。ギター5重奏というのは初めての演奏形態でしたが、ソロリサイタルでは味わうことのできない”おもしろさ”がありました。非常に心にゆとりを持って演奏できるのです。他のメンバーのその日の調子や気分によって起きる微妙な違いを感じ取るおもしろさ、また、自分が音楽を演奏しながら「楽しい!」と思える余裕があるのです。回を重ねるごとに私達の演奏の質も上がっていきました。最後のマドリードでのライヴ録音はCDになる予定です!
お楽しみに。

 スペインの聴衆は日本と随分違います。まず、鼻をかむ時もくしゃみや咳きをするのにも、全く「遠慮」というものがありません。大きな音をたてます。また、面白く無い演奏だったら途中で帰る、という話もききました。現に今年のセゴビアフェスティバルの期間中、あるギタリストのリサイタルでそういうことがあったそうです。その反対に、自分が良いと思った演奏に対してもその気持を率直にあらわにします。拍手がくるまでのタイミングやその手の打ち方から、それが演奏者に伝わってきます。ブラボーと叫ぶことをためらわない、とか、おかしかったら笑うとか、客席が日本より賑やかです。マラガのコンセルバトーリオでそこに通う子供達に「おてもやん」を聞かせたとき、半音階を下りるパッセージで子供たちが笑い出しました。思わず演奏しているこちらもおかしくなってきて笑ってしまいました。お客さんが演奏者を良い気分にさせてくれるのです。音楽を聴くという行為は受け身の行為ではない、ということなのでしょう。
          
                      マドリードでの公演
            (セゴビアがデビューリサイタルをしたアテネオ劇場)

 客層はどうやらギターを弾かない人がほとんどのようです。ギターを聴きに来た、というよりも「音楽」を聴きに来た、ということです。彼等はギター音楽だけを好んで聴いているのではなく、クラシック音楽という広い囲いの中の「ギター」を今日は聴こうじゃないか、といってやって来た人々です。これは日本の演奏会においては滅多にない光景ですが、ヨーロッパでは自然なことなのかもしれません。人間の生活と音楽との関わり方に大きな違いがあるのでしょうか。
               

             「マラガの音楽院で子供たちと」

 スペインでの演奏会を準備して下さったギタリストは皆、その地で社会的に高い地位を獲得していました。上の写真はマラガの音楽院での演奏会のあと、子供達が沢山集まって来てくれて一緒に写したものです。この演奏会を用意してくれた方も音楽院の院長という地位にありました。自分の住んでいる町でしっかりとした基盤を持ち活動している人達を見て、クラシックギターという楽器はこの国において確かな市民権を得ているのだということがわかりました。現在、クラシックギターはポップスやロックにおされ気味というスペインですが、ギター大国の土台は今なお芯の部分は強固であるということです。

スペインはホントに遠かった

 文字通りスペインは遠い国です。成田からアムステルダム経由で約14時間。が、ここでは、私が垣間見たスペイン人はいかに日本人とは違った特性を持っているかをお伝えしたくて、「遠い」という言葉を使いました。日本人からはほど「遠い」人達、を見た印象を4つにわけてお伝えします。

その1 スペイン人の「明」

 スペイン音楽には明と暗が背中合わせに存在している、というのを感じます。乾いた大地に照りつける強い太陽のもとで暮らす人々の陽気な笑い声や歌声、これは正にスペインの「明」「陽」と象徴するものでしょう。私が住んだアルムニエカルで見たスペイン人達は、市場でも公園でもバスの中でも道ばたででも、とにかくいたるところでよくしゃべり、よく笑う。目が合うと知らない人にでも声をかけ、世間話しをする。「寒い、寒い」といっておこっているおばさんに話しかけられたこともありました。犬の糞を間違って踏んでしまって自分に腹をたてて叫んでいるおばさんにも出会いました。また、よく踊る。飲み屋さんで音楽がかかっていれば、誰か必ず踊っている人がいます。そのうち踊る人が増えて来て、いつのまにかディスコに行ったことのない自分も踊っていました。音楽があればどこでもディスコに変身するんです。

 彼らの中にスペイン音楽に感じていた「暗」「陰」の部分をみつけることはできませんでした。ただ、底抜けに陽気なのです。

その2 約束の概念

 小さな約束すら守れない人は大きな約束なんて守れない。約束事はその大小に関わらずきちんと守れる人になりましょう、と聞かされて大きくなったのは私だけではないはず。それだけに約束を破るということの責任は非常に重いものだという認識が日本人にはあります。スペイン人にとっては私達の認識とは少し違いがあるようです。
 まず、時間の約束。私と交流のあったスペイン人達は皆、約束の時間に遅れてやってきました。20分の遅れのときもあれば15分のときも、しまいには来なかったことも。来なかった理由は「今日は寒いから」。時間に遅れるというのは、その時間「ちょうど」に約束したという認識が無く、「だいたいその頃」という約束をかわした、と認識しているからでしょう。これにはすぐ慣れてしまって、約束の時間になってから家を出る習慣がついてしまった程です。
 さらに、「君のために**をあげよう」「明日**してあげよう」などというのもあてになりません。はじめは、なんていい加減な国民だろうとあきれたものです。でも、実は彼等の方が私達日本人より純粋な心を持っていると気付きました。そのとき相手に「そうしてあげたい」と思ったら、気持をそのまま言葉にしてしまうのです。
 日本人なら「もし、今、自分が出来そうもないことを言っておいてそれを実行しなかったら、後で責められることになるなあ」などと後のことを心配し、「やっぱりだまっていよう」と思うかもしれません。何に対しても責任が重くのしかかっている国なので、責任を逃れたいがために口をつぐむ人(自分も)、多いと思います。私が見たスペイン人にはそういう所がありません。

 なんだか温かみのある良い人間だなあ、と許してしまいたくなりました。

その3 おおざっぱ

 市場に買い物に行った時、八百屋さんのおばさんからおつりをもらいました。でも、ちょうどじゃありません。「今、小さい硬貨がないのよ!ごめんね」「わかった、わかった」。という具合。バスに乗車するとき運転手さんに運賃を前払いするのですが、あるとき私の方がぴったりの金額を持ちあわせていませんでした。すると運転手さんは「いいよ」といって少し少ない金額でOKしてくれました。大雑把といえばそうなのです。でも、「お金」というものが日本程大事じゃないのかもしれません。働けば沢山儲かるのに働かない、というのもお金に重きを置いていない証拠じゃないかと思いました。それでも最近は皆、金、金、というんだ、と、親しくしていたEさんは嘆いていたけれど。 ゴミ捨ては何曜日でも何時でもいい。分別はビンを分けるだけ(町にもよる)。また、お土産屋さんで梱包してくれるとき、包み紙をひどい形に手でちぎっても気にしないみたいです。とにかく包めばいい、という感じ。

 私もそういう傾向あり。。。

その4 純粋

 「その2」でも触れた点ですが、純粋です。私が住んでいた町は都会から離れた小さな町でしたから、良い意味で皆「田舎者」だったかもしれません。マドリードに住む人々も同じかどうかはわかりません。が、純粋です。溢れるような情報によって何でも知ってしまって、小さなことに驚きや喜び、感動を感じなくなった人達にとって(私?)、彼等の純粋さは古めかしく時代遅れで間抜けに見えるかもしれません。でも、それは危険なことだと気付きました。自分が彼等を低く見ている証拠に他ならないからです。
 30年くらい前の日本人ってアルムニエカルのスペイン人みたいな純粋さをまだ持っていたんじゃないか、と思います。今の日本では絶対にうけないようなテレビ番組を見てお腹を抱えて笑っている姿や、何でも直線的に考える思考回路。例えば、「石で出来た家は丈夫で木で出来た家はすぐ壊れる、だって、石の方が木より堅いし丈夫だもの、、」と真剣に思っている人に出会いました。また、大きなデパートが完成予定日に出来上がらず最後の追い込みで必死に作業している様子を、サーカス小屋が出来上がるのを楽しみにしているかのように、大勢の人が集まって見物しているのを目にしました。見ていても何も面白く無い(私にとっては!)作業を、夜、灯りがともってからも、ただ、ただ見守っているのです。町にデパートが建つことがよっぽど楽しみなのでしょう。

 私にはこのような純粋さはもはや消え失せてしまっている。彼等の方が私より幸福に人生を送り、豊かな想像力をと瑞々しい感性を持っていることを羨ましく思います。

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