リラの散歩道
演奏家の印象・・

時計台とライラックの花
最近出会った演奏家の印象
2003/10/05 パベル・シュタイドル
2003/06/12  F.クエンカ
2002/06/03 A.ヨーク
2002/05/13 W.カネンガイザー
2002/05/06 D.ラッセル
2002/05/06 E.フェルナンデス

E.フェルナンデス
 2001年、台湾での講習会で初めて実物を見た。それまで生演奏にふれたこともなかった。初めの印象は、ギタリストというよりはむしろ”学者”で、それは現在も変わっていない。鼻眼鏡や落ち着きのある語り口、知的な眼差しによるものだろう。数日間一緒に過ごして感じたことは、精神的な安定度の高い人であるということ。人(私)に安堵感を与える彼のなんともいえない落ち着きは、そのことを物語っている。私は英語をぺらぺらと話せるわけではないので、外国人と隣合わせになったり2人きりになったりすると、少し不安になりそわそわと落ち着かないのだが、エド先生のとなりにいても、全くそうはならない。  
  また、謙虚な人である。レッスンを受けて先生から「ありがとう」と言われたは初めてであった。ちょうどその前日、エド先生が「君、教えるのは好き?」とお尋ねになるので「はい、勉強になりますから」と答えると、「そうだよね、特に自分のレパートリー以外の作品だとね」とおっしゃっていたところだった。
 人間性と音楽家としての資質は必ずしも一致しないという現実に苦しんだこともあったが、そんな苦しみを忘れさせてくれる素晴らしい出会いであった。

D.ラッセル
 とにかく学生に人気がある。講師を選べるシステムのオランダの講習会で「先生は誰になった?」と聞かれ、「ラッセル」と答えると「わぉ、いいなあー」という反応が返ってきた。スタイルが良いわけじゃない。足も長くない。顔も美形じゃない。むしろ、野性的ですごみのある顔だ。なのに、カッコイイ!パブロ・マルケスのカッコよさとは全然ちがう。私は「さっそうとしている」人をみると、男女を問わず、カッコイイと感じる。
 ステージに登場する時、少し小走りに気味にさっと出てきてパッと弾きはじめる。レッスンも、きびきびとした速いテンポで進めていく。
 廊下で練習していたら彼が通りがかった。何か言わなくては、と思い「今日、あなたのレッスンを受けることになってるんです」と言ってみた。「あ、そう。多分場所は**棟の**教室だと思うよ。わかった?」「はい」。マスタークラスは、「君は日本人?」「はい」「名前は?」「Sachikoです」「Sa-Chi-Ko、Sachiko...難しいね。アムステルダムに住んでるの?」「いいえ、このために飛行機のって来ました。」「わあーお!」という会話で始まった。レッスン中いろいろな説明をした後、必ず聞く。「わかった?」と。 私が英語ペラペラじゃないからだろうか。母親が幼い子供に「お母さんの言うこと、わかった?」と念を押すのと同じ感じだ。
 チェックを換金するために会場から少し離れた街の中心部へ一人で向かっていたときのこと。通りに面したガラス張りのレストランがあり、見ると窓際のテーブルの人達がこちらに手を振っている。ラッセルと奥様だった。ああ、私は本当にヨーロッパにいるんだ、と嬉しくなって大きく手を振り返した。あんまり、「演奏家の印象」と関係ない話になってしまった・・・・。

W.カネンガイザー
 彼について知っていることといえば、ロサンゼルスギターカルテットのメンバーであることと、左手のテクニックが素晴らしいと人から聞いていたことぐらいだった。2001年、ソロリサイタルで来日した際、マスタークラスでお会いした印象を書いてみよう。
 マスタークラスが始まる前に、主催者である「現代ギター社」の編集部で雑談していたところへ、カネンガイザーがやって来た。しっかりとした体つきでスラリと背が高く、背筋がすっと伸びている。堂々としていて毅然とした人という印象を持った。その日のために私が北海道から来た、という話題になると、「わぁお。(この反応は誰かと同じ)ちゃんとレッスンしなくちゃ」。表情が豊かでその一つ一つが美しい。少し気位の高そうな品のある顔だちをしている。歌も上手で、レッスン中「オペラのように弾かなくてはいけないよ」と言って何度もきれいな声で歌ってくれた。終了後のレセプションに、主催者の御好意で受講生も参加することが出来た。彼はレッスン中とは違って少し表情が堅く、緊張しているようだった。自分を日本に呼んでくれた関係者に囲まれ(社長も含む)、翌日に大切な東京公演を控えているのだから無理もない。レッスンでの陽気さは彼の一面でもあるのだろうが、パフォーマンスでもあったように思う。お酒も飲まず、「刺身は食べられますか?」と聞くと「刺身を食べなかったら今頃餓死してるよ」と言って、あまり彼の口に合いそうもないものを、なんとかつまんでいた。
 彼は一人の喫煙者に「すみませんが、煙草をひかえて頂くか、別の所へ行って吸って頂けませんか?」と言った。「カリフォルニアではもう、煙草を吸っている人はいないんです」と。「ここはカリフォルニアではない」とその人は思ったに違いないが、カネンガイザイーの毅然とした態度には従わざるを得なかった。そう!一言でいうなら、常に毅然としている人。こういう凛とした姿を見習いたい、と思った。

A.ヨーク

 ギターファンなら皆さん御存知、ロサンゼルスギターカルテットのメンバーの一人。クラシックギタリストらしくない風貌や若者に人気の「サンバースト」「ムーンタン」(彼の作品)のような音楽からイメージしていた「アンドリュー・ヨーク」は、もはや私の中から消えてしまった。とは言っても、ほんの数分しか彼に接することが出来なかったので、私が見たのは彼のほんの一面にしかすぎないのだろう。
 札幌サンプラザホールでの演奏会当日(2002/5/30)、演奏前にお会いすることができた。私は演奏会終了後には面会する時間がなかったので、彼の日本ツアーに同行していたS氏が気をきかせて控え室に連れて行って下さったのだ。開演前に会いに行くなんて随分無神経な行為だったと反省している。楽屋のドアが開くと、そこに立っていたのはあのトレードマークともいえる長髪のアメリカンではなかった。すっきりとしたヘアスタイル、度の強そうな眼鏡、静かで厳しい目つき、なんだか全然あの「ヨーク」と違う。さすがに彼も本番前で少しナーバスな感じだった。下手な英語でもたもたしている場合ではなかったのでS氏にスピーディーに通訳して頂いた。大きな舞台を控えているとき、どんな準備をしたら良いか質問した。「こんな時にそんなこと教えてやるもんか!」というような心境だったかもしれないのに、嫌な表情も見せずに親切に助言して下さった。あまりスピードの速くない英語、静かな口調。普段はこうじゃないのかもしれない。でも、ヨークの誠実さを垣間見たように思う。どんなアドバイスだったかは、、、秘密にしておこうっと。

F.クエンカ
 フランシスコ・クエンカはスペインのギタリストで、兄のホセ・マヌエル(ピアニスト)とデュオで活動している。彼はまだ30代でありながら、スペインのコンセルバトーリオの院長という肩書きを持っている。父親がフラメンコギタリストで兄が優秀なピアニスト、他の兄弟姉妹も数人音楽家になっているという。
 3年前の来日の際、演奏を聞いてもらったのが最初の出会いだ。昨年(2002年)のスペイン滞在中、バスで片道4時間余り、日帰りはできない距離を、彼にテクニックを見てもらう為に毎週彼の音楽院まで通った。明確で芯のある音、優れた特種奏法(ピッチカート、ハーモニクス、ラスゲァード)のテクニックを持ち、これほど「きちんと」弾くギタリストは世界広しと言えども少ないだろう。私はこの「テクニック」に憧れたのだ。また、彼は教師として大変優秀なのだ。初心者にレッスンするならともかく、私くらいのレベルの奏者に対しても、1音1音、音色、音量、明瞭さなどチェックをし望ましい音がでるまで絶対にイエスと言わない。その根気の良さと妥協しない姿勢は、私にとってこの上なくありがたい存在なのだ。手取り足取り、の懇切丁寧なレッスンのお陰で随分助けられた。以前、エドゥアルド(フェルナンデス)に私の良くない点について指摘されたことがある。この問題点を直すために実際に粘り強く教えてくれたのはフランシスコなのだ。私と近い世代にあって仲間のように親しく接してくれる上、先生という立場で偉ぶるところもない。一度も機嫌の悪い顔しているのを見たことがない。あの若さで院長という地位にいるだけあってよく出来た人間なのだろう。
 演奏家としても年々素晴らしくなっており、日本ではあまり知られていないが、これからますます飛躍していく人だろう。また、兄のホセ・マヌエルほどピアノの音量をギターを引き立てる為に美しくコントロールできるピアニストを見たことがない。彼のピアノとアランフェスなんて共演できたらギタリストは幸せだろうと思う。

パベル・シュタイドル
★プロフィール

1961年、チェコ・プラハの近郊に生まれる。
 8歳よりギターを始め、プラハ音楽院にてミラン・ゼレンカに師事。その後アカデミーにてシュテファン・ラック、更にアベル・カルレバーロに教えを受ける。
1982年、21歳で世界最高峰のパリ国際ギターコンクール優勝。以来演奏家として世界的名声を築き、各国のギターフェスティバルに出演。現在、ヨーロッパにて演奏、教授活動を行う他、作曲家としてもその才能を発揮し、プログラムにオリジナル作品を盛り込むのも魅力の一つとなっている。
 19世紀ギターを使用した演奏も精力的に行い、その稀有な表現力・演奏手腕は特筆に値し、ヨーロッパ各国、オーストラリア、カナダ、中南米など30カ国以上の国々で聴衆を魅了している。今秋、アメリカ最大のGFAフェスティバルにジョン・ウィリアムスとともに招かれている。昨年の初来日公演が大好評を得たため2年連続の来日(2003年12月12日)となった。



★パベル・シュタイドルについて

 あのジョン・ウィリアムスが、ハバナ国際ギターフェスティバルで絶賛したギタリスト。演奏後、観客総立ちになり大喝采、その後、ジョン・ウィリアムスが楽屋を訪ね賛辞を述べた。もうすぐ発売の新しいCD「メルツ」をいち早く耳にしたレオ・ブローウェルが、彼に祝福のメッセージを電話で伝えた。

 「パベルを聞き逃すな!」
 そう私に言ったのは、大物エドゥアルド・フェルナンデス。昨年シュタイドルの初来日前にエドゥアルドが私に送ってきたメッセージである。

 私はシュタイドルの演奏を既に知っていました。アムステルダムフェスティバルで初めてその素晴らしさに出会ったのです。それまで味わったことのない感動を得たのを覚えています。世界のレベルって高いんだなあ、と感心したものです。さらに、見ているだけでも楽しい演奏家。最初から最後までシュタイドルを見て笑い通しの人が私の斜め前に座っていました。「なんて不謹慎な」と思いましたが、確かにおもしろいんだよね。「宇宙人的風貌」という人もいるけれど、「奇才」という言葉がぴったりだなあ。私の尊敬するあるギタリストが「シュタイドルのような彼独自の世界」という言葉を口にしたことがありますが、彼のように、人の真似ではない、自分だけの世界、自分にしか表現できない世界、というものを持つことができるのが真の演奏家、表現者なのですよね。

 終演後は観客が皆立ち上がって拍手を送りその演奏を讃えました。演奏は無傷で、しかもCD以上の豊かな表現力で、かつ緻密な音楽でした。演奏会でしか味わえない、特別な空気の震えみたいなものを強く感じました。大きな音でテクニックを誇示し派手さで人を惹き付ける、のとは全く正反対で、それでも人の心をとらえることができるのだ、ということが私の中で再認識されました。演奏者が完全に楽器を支配しており、音楽そのものに聞き入ることができました。

 ちょっと誉めすぎじゃないの?とお思いの方、だまされたと思って一度足を運んでみてください。ほんとなんだってば。

 昨年の現代ギター社でのマスタークラスの様子については演奏旅行記のレポートを御覧下さい。なお、その中に「開放弦でもヴィブラート」という表現がありますが、これは誤りで、空気を震わせていることを表現したかったために、ついヴィブラートという語を使ってしまいました。御存知の通り、開放弦ではヴィブラートはかけられません。お詫びして訂正致します。
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