スペイン演奏旅行記2004

2004年11月〜12月


 2年ぶりのスペイン。仕事でヨーロッパへ行く、という、これまでとは違った意味の旅。

 自分の意思で行く旅とは異なる。沢山の方々のご協力とご支援により実現したことはいうまでもない。表し尽くせない感謝の気持で一杯だ。ヨーロッパで演奏する機会を得るなど、そう簡単にできることではないからだ。

 ここでは手帳に走り書きした旅日記をもとに、”ギタリスタ”として見たこと感じたことを数回に分けてお伝えしていきたい。
1回
【11月15日】

 2日前に東京のリサイタルを終え、その後成田へ。今回の旅は全行程ともKLM(オランダ航空)を利用するので、アムステルダムを経由することになる。アムステルダム・スキポール空港には巨大なショッピングモールの他、すしバーからカジノまであり、乗り継ぎまでの空き時間を飽きること無く楽しめる。
            
            アムステルダム・スキポール空港の寿司バー

 成田からアムステルダムへ、さらにアムステルダムからマドリードへ。さあ、いよいよスペインへ向けて出発だ!でも、その前に頭の痛い問題がある。近頃、各航空会社が機内に楽器を持ち込むことに対して難色を示すようになっているのだ。これをなんとか乗り越えなければならない。貨物室にギターを預けるとなると、心配なのは破損、室温低下による楽器への悪影響だ。ゲートを通過する時はいつも祈る思いで臨む。幸運にも今回は客室乗務員のご親切と「うそも方便」もあって奇跡的に機内に持ち込むことができた。まずは好スタートをきったというところ。

 15日夕方マドリードへ到着。この夜はここに一泊し、翌日早朝、タルゴ(特急列車)で南下し、アンドレス・セゴビアの生地リナーレス市ヘ向かう。

【11月16日】

 マドリード・チャマルティン駅に予定時刻になっても列車が到着しない。結局30分遅れで発車。しかし、途中、突然とまったり動いたりの連続で、リナーレスに到着してみると1時間半以上も到着予定時刻を過ぎていた。まぁ、今日は演奏会もないのでのんびりいこう。
 外は11月とは思えない程、日ざしが強く暖かい。主催者の車でホテル・アニバルへ到着。
           4つ星ホテルだ!★★★★やったー!!

               
                  ホテルロビーにて

 リナーレスではアンドレス・セゴビア国際ギターフェスティバルがすでに開催されており、初日のコンサートはデヴィット・ラッセルだったようだ。明日はドイツのフーバート・ケッペルのコンサートがある。ロビーでくつろいでいたらその本人がホテルに到着した。とにかく大きい人。後でわかったのだが私の隣室に滞在だった。

フーバート・ケッペルと

会場となった
アンドレス・セゴビア博物館前で
  翌日から4日間コンサートが続くので、疲れていたけれど軽く部屋で練習。手を休めると隣室のケッペルの弾くバッハが聞こえてくる。やっぱり上手いよね、と感心し、意外と真面目に練習するんだ、やはり皆努力家なのだ、と知る。20日分の重い荷物のせいで腕が筋肉痛になっている。夜はお風呂に入って早めに寝る。明日に備えて早く疲れをとりたい。
                        
2回
【11月17日】

 コンサート初日はリナーレスから車で40分程の町ウベダの音楽院主催のソロコンサート。移動中、山肌にブロッコリーを並べたような景色が延々と続く。これは実はオリーブの畑だ。
 ウベダは古く美しい町で、音楽院は300年以上前の建物だ。集まっていたのはこの学校に通う小さな子供から20才くらいまでの学生、その父母、教師達で、熱心に、そして楽しんで演奏を聴いてくれているのが伝わってきた。はじめにスペイン語でご挨拶、これだけでも喜んでくれている。最前列の小さな子達もブローウェルの作品を真剣に身を乗り出して聴いてくれた。初日として好スタートをきったというところ。

プログラムの表紙

プログラムの見開き左ページ

PROGRAMA
T
Septierne Fantasie Op.30
SONATA
 Fandangos y Boleros
 Zarabanda de Sorabin
 La Toccata de Pasquini
Tema Variaciones de SAKURA,
 Tradicional Japonesa 
Fernando Sor
Leo Brouwer



Yuquijiro yocoh
U
En Los Trigales
Junto al Generalife
Invocacíon y danza
(Homenaja Manuel de Falla)
Sevillana(Fantasía)
Danza Mora
Capricho Arabe
SONATA "Omaggio a Boccherini"
 Tempo de Minueto
 Vivo de energico
Joaquín Rodorigo
Joaquín Rodorigo
Joaquín Rodorigo

Joaquín Turina
Francisco Tárrega
Francisco Tárrega
Mario Castelnuovo-Tedesco

 夜はリナーレスのフェスティバルでフーバート・ケッペルのコンサートを聞いた。体も大きいけれど音も大きい。バッハのBWV1007、ジュリアーニのヘンデルの主題による変奏曲が素晴らしく、印象に残った。アンコールはピンポン玉を2個使うアメリカ人作曲家の作品で、会場を笑いのうずに巻き込んだ。演奏者はときには役者でもなければならないけれど、彼はその資質を十分に発揮していた。
【11月18日】

 ギタリスト手塚健旨氏率いるギターアンサンブルの助っ人として参加し、セゴビアギターフェスティバルで演奏。ギターアンサンブルという形態はスペインでは未だに珍しいらしく、大変喜ばれた。観客総立ちで拍手を送られた程だ。昨日のフーバート・ケッペルも聴きに来ていて、アンサンブル用の楽器や楽譜に興味を示していた。アンサンブルのメンバーの中には数年ぶりに再会した富川勝智氏もおり、大変楽しい1日だった。打ち上げはホテルの近くの店で賑やかに。
                
                   イタリアのトリオ・カルドーソと

 連日演奏して感じたことは、演奏会とは演奏者と聴衆の双方が作り上げるもの、ということだ。さらに、演奏会はどちらの側にとっても大変楽しいもの、ということ。当たり前のことだが大変難しいことなのだ。極度の緊張感の中で高い集中力を持続させることに専念するので、つい真剣なあまり楽しむ余裕を失ってしまうことがある。少なくともここに来るまでは。

            
でも今は明日の演奏会が楽しみ!と思える。
                    
第3回
【11月19日】

 リナーレスから車で1時間程走るとハエンの街の灯りが見えてきた。その手前にあるトレドンヒメノ市でのコンサート。4日間(17日〜20日)のギターフェスティバルの3日目が私のコンサートだった。
プログラム(左:表紙、右:内側)〜CDの解説書のようなデザインでした〜

 主催者の御夫婦の車で案内されたところは教会、開演の1時間前に到着した。リハーサルでソルの第7幻想曲を弾いてみると、天井の高い空間に心地よく響きわたる。と、突然地元のテレビ局がやってきて「2、3お尋ねします、ギターを始めたのはいつですか、スペインをどう思いますか」などインタビューされた。演奏の収録もあり、演奏中、左サイドにカメラが近づいてきて少し気が散った。
 この街のお客さんは素晴らしい反応だった。待ってました〜というように、笑顔と大きな拍手で迎え入れてくれ、熱心に演奏を聴き、熱烈に拍手してくれた。観客は熱かったけれど会場の気温はかなり低く、ドレスを着るのを断念したほどだ。
                  
                         教会で

 リナーレスで留学中の日本人のT君という青年と出会い、この日、私の荷物持ちをかって出てくれた。思いがけないマネージャーの出現に大助かりだった。

【11月20日】

 私はコンサートの日が近づくと緊張のあまり体調を崩すのが常である。いつものことなので、例えば朝食後にもどしてしまっても、胃腸の具合がひどく悪くても全然気にしなくなった。「身体がコンサートの準備を始めたんだな・・」くらいにしか思わない。ところが、スペインで連日演奏しているが、不思議と体調は万全で気分も良く精神的にも余裕がある。「開演8時半ね、あっそ〜」という感じ、リラックスした状態で開演を待つことができるのだ。こんなことは生まれて初めてのこと。
 この日はリナーレスから列車でマドリードに移動し、その夜がコンサートだった。移動で身体が疲れないようにすること、しっかり食べて体力を維持することをこころがけた。マドリード・アトーチャ駅そばのホテルに午後2時過ぎに到着、ホテルアグマールも4つ星ホテルで大変居心地が良かった。昼食はパエリャで有名なレストランでとり、その後ホテルで仮眠後にコンサート会場へ。アンサンブル、カルテットのメンバーとして演奏、途中ソロを2曲演奏。アンサンブルは賛助出演のマリアエステル・グスマンの隣で弾いた。リナーレスより良い出来だ。

マリアエステル・グスマンと

ホテルの部屋から見たマドリード市街
【11月21日】

 マドリードから再び列車で南下する。南の玄関口マラガへ。4時間余りの列車の旅でたどり着いた地中海沿岸の街は、まさに南国のリゾート地だ。そこからさらにバスで2時間、滞在地アルムニェカルにやっと到着。もう辺りは暗い。

 バスターミナルで一人のおばあさんに声をかけられた。
「あんたどこから来たんだい」「日本から」「トウキョウかい?」
「いや、サッポロから。じゃ、もういきます。」
「まてまて。サッポロ、、そこはトウキョウより北かい南かい、
       これがはっきりするまで行かせないよ!」
 といった具合でやりとりしているうちに、疲れた身体に元気が出てきた。

第4回
【11月22日】

 トーレ・デル・マール「海の塔」という名の地中海沿いの町。ここのコンセルバトーリオ(音楽院)でコンサート。新しい近代的な建物で「カサ ラリオス」という名がついている。
            
                          地中海沿岸 

 主催者のハビエル・ガルシアさんは音楽院長で多忙なギタリストである。出迎えてくれたのはフェルナンドという人物、なかなかの紳士で少し英語を話す。学校の生徒達、父母、先生がお客さん。私の演奏はこれまでで一番上手くいった。

 演奏後、ハビエルと電話で話して演奏会の報告をした。彼はコンサートの為別の地にいて私に会えないことを一生懸命詫びていた。院長室の壁にかかっている、プレスリーみたいにもみ上げが長く、一見逞しいボクサー風のハビエルの写真。俺はすごいんだぞお、と肉体的にもアピールしている体育会系。演奏家って見た目のイメージも大事なものだ。フェルナンドさんは大変丁重な応対をして下さり、皆さんと食事に誘ってくれたが、迎えのタクシーを呼んであったので着替えてすぐに外へ出た。約束の時間を過ぎたらおじさんは帰っちゃうからね、とタクシーの運ちゃんに言われたからだ。タクシー代は前払いしてあるから帰られちゃ大損だ。お別れの際フェルナンドさんが「英語で上手く言えないんだ」と言ってスペイン語でわぁーっと私に話し始めた。

 
最後に、
  「ここは君の家です。そう思って、きっとまた来て下さいね。」温かい言葉だったな。

                         
【11月25日】

 スペインへ来て初めての休日を2日過ごした。思う存分地中海をながめ、コスタ・デル.ソル(太陽の海岸)に別れを告げた。再び列車でマドリードへ。列車で旅するのもこれが最後と思うと名残惜しい。
 塩辛いナッツをほおばりながら、車窓から延々と続くオリーブの畑をさすがに見飽きた思いで眺める。しかし、初めてこの景色を見た時には、ロドリーゴの「遥かなるサラバンド」や「ヘネラリーフェのほとり」が辺りに流れてくるようだった。広大なスペインの乾いた大地にどこまでも響くような音の永遠を想像した。マラガからマドリードまでの間、停車する駅はわずかでその一つはコルドバだ。今度スペインへ来たら絶対に行きたいところ。気ままな旅なら今ここで降りてしまうのに。ぐっとこらえた。
            
                          地中海をバックに

【11月26日】


プログラム(表紙)
マドリードでスペイン最後のコンサート。 お昼はホテルのそばにある日本料理店で「日替わり定食;鶏のからあげ」を注文、熱い味噌汁をぐっと飲みほすとやはりほっとした。

 演奏会の当日、私はあまりギターを弾かない。弦を張り替えたり荷物の整理をしたり、時間があれば昼寝や散歩をする。リハーサルも会場の響きが分かればそれ以上は弾かない。

 この日は一番思い出深いコンサートとなった。マドリードのような大都会でもお客さんは温かく、熱かった。コンサートで客席と対話をする楽しさを、明日もあさっても続けたい思いだった。

現地でのコンサート案内は左のプログラムをクリック

 演奏後、沢山の方が声をかけて下さった。王立音楽院の学生さん達、歌手の女性、著名なギター製作家の方々、なんといっても一番うれしかったのは名工アルカンヘル・フェルナンデスが来て下さったこと。また、彼が連れてきて下さったお友達にフラメンコギタリストがいて、私のセビジャーナのラスゲァードについて尋ねてみた。大丈夫、問題ないということだった。

 主催者のギター製作家アンヘル・ベニートさんがおいしいコロッケのお店に連れて行って下さった。帰りは皆さんでホテルまで送って下さり名残惜しいお別れだった。


皆さんとレストランで

アルカンヘル・フェルナンデスさんと並んで
                       
      スペインから帰ってきて考えたこと、コンサートって何の為にあるのか。

 演奏者が自分の技量を自慢するためにあるわけじゃない。作曲者と聴衆の間に立って意志の伝達をするのが演奏家の役割。心をこめて伝達できたとき、聴衆は作曲家の心を知り幸せになるし、作曲家を一層身近に感じ、自分がその作曲家本人であるかのような錯覚を覚え演奏者自身も充実感を味わう。お客さんが喜んでいるのを見るとさらに幸せになる。コンサートはその空間にいる全ての人が幸せになるためにあるんだ。なんて当たり前のことなのか。。。

                本当の意味でこのことを理解した旅であった。
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