パラグアイ
          Guitarra y Mujerフェスティバル
 2006年8月。千歳から約40時間の長旅の末、冬の南米パラグアイへ行ってきました。成田、ニ ューヨーク、サンパウロを経由し、やっと首都アスンシオンに着きました。
 今年で4回目となる「ギターと女性」フェスティバルがアスンシオンで開催され、私は日本人ギタリ ストとしては初めて招待され、出演しました。これまで、コスタリカ、フランス、メキシコなどで開 かれ、各国の女性ギタリストが出演 してきました。今年は、パラグアイのルス・マリア・ボバディージャ、ベネズエラからマリーナ・パ リーリ、コロンビアからトリオ・コロンビタ、宮下が出演しました。 フェスティバルの主催団体は、パラグアイの女性支援活動を行っているNPOクニャ・アトゥで、医療、法律などあらゆる面で専門家による援助を提供しています
 会場は初日、首都アスンシオンの日本・パラグアイセンター、2日目はアグスティン・バリオスの生地、サン・ファン・バウチスタのミシオネス教会。
フェスティバルの後は、ソロリサイタル。バスで国内旅行をしながら演奏しました。


※詳しい内容はギタードリームGuitar dream創刊号をご覧下さい。
スケジュール
フェスティバル
  8月24日 アスンシオン:日本パラグアイセンター
  8月25日 サン・ファン・パウティスタ:ミシオネス教会

宮下祥子ソロリサイタルツアー
  8月27日 コロニア・イグアス
  8月29日 コロネル・オビエド

  8月30日 ビジャリカ
ラジオ出演
到着した翌日からラジオ3本、テレビ3本に生出演し、フェスティバルのPR活動に努めた。
8月24日 アスンシオン : 日本パラグアイセンター

練習中の様子

最後は全員でパラグアイ舞曲を演奏
出演者全員で
左より、
オリオル・カロ(トリオ・コロンビタ)、マリーナ・パリーリ(ベネズエラ)、宮下、
グロリア・ルビン(クニャ・アトゥ代表)、ソフィア・サンチャス(トリオ・コロンビタ)、
ルス・マリア・ボバディージャ(パラグアイ)、ドーラ・ロハス(トリオ・コロンビタ)

トップバッターで演奏

新聞に掲載されました。
8月25日 サン・ファン・パウティスタ : ミシオネス教会
演奏会場となった教会 バリオスの展示物 大聖堂第一楽章の自筆譜
演奏中 出演者に贈られた記念品
サン・ファン・バウティスタ市からの感謝状 感謝状の拡大
ルス・マリア・ボバディージャと
5時のティータイム
トリオ・コロンビタのバンドーラ奏者
ドーラ・ロハス
ベルタ・ロハスとのツーショット 初日の打ち上げの様子
8月26日 シーラ・ゴドイ氏を訪問
今年85歳になられるバリオス研究家としても著名なギタリスト、シーラ・ゴドイ氏宅を訪ねました。
ゴドイ氏は自身のCDと2つの自作曲の楽譜をプレゼントしてくれました。
また、私の演奏を大変喜んで聴いてくださりました。

ソロリサイタルツアー(27日〜30日)
イグアス(27日) コロネル・オビエド(29日) ビジャリカ(30日)
世界遺産イグアスの滝 国民的詩人Manuel Ortiz Guerreroは
ビジャリカの出身
番外編
チーパ
 バスに乗ると、途中から頭の上に大きな風呂敷包みをのっけた、大きなおばさん二人(おばさん&おじさんの時もあった)が必ず乗り込んできます。彼らは、チーパという、とうもろこしの粉で作ったドーナツ型のおやつと、コシージョという飲み物を売る人たちです。乗客の全員がこのおやつを買います。これをみんな、楽しみにしているんです。もし、途中で事故やトラブルが起きてバスに閉じ込められたりしても、これで腹ごしらえをしておけば、しばらくは心配ないということもあるのでしょう。かなり腹持ちがいいんです。噛めば噛むほどに味が出るといったような、塩味のおやつです。コシージョは炭で焼いたマテ茶に砂糖を加えた飲み物で、こおばしいお茶。熱々をふうふういいながらすすりますが、これがチーパにぴったりです。
マテ茶
 パラグアイ人は自分専用のマテ茶のカップと金属製(銀製でしょうか)のストローを持っています。カップの中にお茶の葉が入っており、お湯を注いで何回もその茶葉で飲みます。どこへ行く時でも、お湯の入った大きなポットと一緒に持ち歩きます。
 バスの運転手さんも専用スペースにこの一式を携帯していました。写真ご覧あれ。夏はお湯でなく冷たい水を注いでお茶を飲みます。水で出す場合はマテ茶と呼ばずに「テレレ」と呼んでいます。日中40度以上になる夏には、このテレレなしでは過ごせないそうです。私が行った時期は冬だけれど、昼間30度近くになり、テレレを飲んでいる人が沢山いました。いろんな人が、飲んでみてよ、と一口二口くれましたよ。
 言葉の調子がいいので、写真を撮る時の日本式の「チーズ」という言葉の代わりに、私は「テレレ」と大きな声で叫んでシャッターを押していました。これが評判を呼び、それ以後、皆で記念撮影のときは、「テレレ」と言うのが流行り、「写真を写すたびにサチコを思い出すよ」と言ってくれました。

←テレレを片手に・・・・「はい、テレレ」 カシャ!!
音楽は皆のもの

市長さん(左)

ギターを演奏する少年達
 バリオスの生地(サン・ファン・パウティスタ)での演奏会はゲストにとっては最後の夜でした。サン・ファン・バウチスタの市長さんが同席して打ち上げを行いました。我々のコンサートを見たという現地の少年4人が「お礼の気持ちです」といってギターを担いで現れました。彼らはストラップでギターを抱えてパラグアイの音楽を演奏し、それに合わせて、ある一組が踊りだしたら、声がかからないはずはなく、「サチコもイケー!」と盛り上がっちゃって、やれやれ、市長さんと踊りました。それにしてもその少年達のギターの上手いこと上手いこと。パラグアイ人はみんなギターを弾くんじゃないか、というほどギターは身近な楽器のようで、プロは本当に上手くないと笑われます。
最後に

 パラグアイで考えさせられたことは、人間が人間を成長させるには愛情を与える以外にない、ということ。いろんな種類の愛をみました。自分の子供じゃなくても、自分の子と同様に他人の子を育てている人たち。私の娘、と言っているけど、血のつながりはない。決してお金持ちと言えないパラグアイで、自分より貧しい境遇にある子供を、自分の子として育てる人はめずらしくありません。実の子供も何人もいるというのに。人口は北海道とほぼ同じくらいで、小さな社会だ。皆が助け合って生きている、いつも互いを気遣っている。

←アスンシオン市街から眺めるパラグアイ川

 私が受けた愛情もあります。私は彼らが与えたくれた愛情によって、良い演奏へと導かれました。聴きたいと思わない人が客席を埋めているならば、良い演奏をしようという気持ちになるのは難しい。聴きたいと思う人たちがいるところで演奏することが、演奏者にとって一番の幸せというものでしょ。そういうことは、ステージに出た瞬間に感じることなんだ。そのくらい演奏家は敏感なんです。この意味において本当に幸せなコンサートを経験しました。これは、最近私が演奏会を楽しいと実感している理由の一つに違いないのです。日本でもあちこちで幸せな経験をさせて頂いていますが、それは各地で皆さんが私に暖かい気持ちを与えて下さっているからなんですね。
最後に多大な親切とご協力を頂いたサンドバル・根津敏子さんに、
この場を借りて感謝の意を表したい。
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