沖縄。憧れの地であるとともに、かの地が持つ長い歴史、文化、戦争、今なお抱える米軍基地の問題などを考えるなら、南のリゾートへ白い砂浜を夢見て遊びに行くような心持では足を踏み入れることができず、長年ためらいがあった。戦争世代の母も同じ思いで、しかし一度訪れてみたいという強い願望も捨てられずに随分と時が経ってしまった。 |
|
那覇空港からすぐにリムジンバスに乗り込み、目指したのは名護市。約2時間バスに揺られながら目にした沖縄の風景は、まるでスペインのコスタ・デル・ソルそっくりだったから驚いた。美しい海岸、白壁の家々、色鮮やかな植物。後でわかったことだが、昔ながらの沖縄の家屋というのは少なくなっているそうだ。シロアリや台風の被害から守る為に、コンクリート作りの家が多い。しかし、先人の知恵が生かされている昔の家、町並み、自然を保存し、見直す活動を精力的に行っている熱い志を持つ沖縄の人々に沢山出会ったことも、この旅の大きな収穫であった。 |
|
大城松健先生と(中央) |
ギタリスト大城松健先生といえば、藤井敬吾さんが書いた「羽衣伝説」の作曲を委嘱した方だということはもうよく知られたことだ。この大城先生の多大なご親切、ご好意で私の演奏会が実現した。大城先生をはじめ、出会った方々皆さんが琉球人としての高い誇りと志をお持ちで、その人たちを前にして、正直、私は自分が小さく感じた。私は自分が自分であること、つまり、北海道で生まれ育ったからこそ、他でもない今の私が形作られ、それがどんな風だか自分ではさっぱりわからないのだけれど、その私らしさ、を伝えなければ沖縄の人たちに対して恥ずかしい、と思ったのだ。 |
|
私ができることは、「私らしい演奏をすること」しかなく、私の音楽で「私」を伝えるという意味では、これまでの演奏体験の中でも、特に自分で満足のいく演奏だった。静かな心で演奏できた。何にも邪魔されずに。そんなことは、これまでで初めての経験だった。 |
|
|